労働組合の委員長をやめてからは、しばらくは社内の構造改革チーム「ビッグバン委員会」(以下ビッグバン)の仕事をやっていました。実はそこに配属になる直前に、横浜市にある港南台髙島屋の店長就任の内示が出ていたのです。入社からずっと東京店にいましたし、港南台なら住まいのある鎌倉からより近くなるので、「これはいいな」と思っていました。当時はまだ横浜髙島屋は別会社だったので、その系列店である港南台髙島屋に移るためには転籍の手続が必要でしたが、それも済ませていました。
ところが、配属の前日に「ビッグバン」への配属が言い渡されたのです。さすがに驚きましたし、転籍までしていたので「いったいどういうことなのか?」と思いました。
そこで主にやったことは、商品の仕入を行う商品事業本部と、商品卸を業務とする子会社・髙島屋商事(現グッドリブ)との業務プロセスを改善することでした。
双方で業務が重複している部分があったため、髙島屋商事に商品事業本部の機能を集約しました。
また当時は、関東と関西にそれぞれ宣伝やプロモーションの企画・制作を行う子会社がありました。しかし二社とも同じような業務を行っているわけですから、これを統合させて業務の重複をなくしました。
希望退職は募っていません。それでも業務プロセスの改善によってムダを省いたために、経費構造の改革として結果が出せたと思います。その当時、商品事業本部の運営コストは人件費も含めて年間五十億円ぐらいあったのですが、それを60%以上圧縮できました。
「ビッグバン」での業務を二年ほどやってから、1995年、取締役経営企画室長になりました。経営企画室は、目標を達成するために経営方針や具体的な計画を立案したり、経営上の問題点に対して改善策を検討するセクションです。その一方で、新規出店などの事業開発も担います。
このころは、消費不況により百貨店離れが進み売上が伸びない中で、ほとんどの百貨店は赤字に陥ったり赤字寸前の経営状態でした。当社も業績は思わしくなく、また新宿店のオープンが決定していたため、経営的にはかなり大変な時期でした。だから就任した時は、正直「どれだけ業務を改善して髙島屋を立て直すことができるのか。自分にこの仕事が務まるのか」と思ったものです。
構造改革プロジェクトの業務は、経営企画室に吸収しました。既存事業を縮小して均衡を図る一方で、将来の発展のためには当然新たな成長戦略が必要だと判断し、事業開発も進めました。
そのために実行したもので特に重要な意味を持ったのは、新宿店の開店とJR名古屋駅への出店だと思っています。新宿店の計画そのものはすでに決定していましたので、開店までのフォローを経営企画室としてやりました。
JR東海は、最初名古屋に本店がある松坂屋と業務提携していたのです。ところがそれがご破算になりかけていて、次のパートナーを探していた時に当社にも話があったので、プロジェクトを進めました。これに対して社内は賛成ばかりではなく、むしろ反対のほうが強かった。その頃はすでに新宿店のプロジェクトがスタートしていましたし、「名古屋のような髙島屋のブランド力がまったくない地域に打って出たところで、消費者には受け入れられない」といった意見が大半でした。しかし、新宿店は直営店ということで出店しましたが、名古屋はJR東海との合弁ですから、経営形態としては違います。合弁ならそれほど大きな投資を伴うわけではないので、新宿店に多額の投資をしても名古屋の出店と両立できると考え、周囲の反対を押し切って進めました。
それに、話を聞いた瞬間に「大変いい立地だ」と思いました。名古屋は営業拠点としては空白地帯なので、そこに五万平方メートルを超える営業拠点を持てるということは、将来の髙島屋にとって大きなプラスになると思い、「この話を断るのはもったいない」と感じたのです。
ジェイアール名古屋タカシマヤは、オープン以来ずっと好調です。2007年度の売上高はオープン時と対比して六五%増。こうなると以前は「JR東海との合弁なら、多額の投資が伴わないから大きな問題にはならない」と考えていたにも拘わらず、今ではむしろ「合弁ではなく、直営で出しておけばよかった」と思ってしまいます(笑)。