入社して十二、三年経った頃、東京店でスポーツ用品の仕入課長に就任しました。
今でいうバイヤーです。
スポーツ用品と聞くと、人気のある売場だというイメージを持つかもしれません。スポーツ用品と聞くと、人気のある売場だというイメージを持つかもしれません。 しかし当時は、マイナーな売場でした。ゴルフ売場は“別格”ということで、スポー ツ用品とは売場が別だったのです。現在専務取締役を務めている手塚周一君ととも に、マイナーな売場の課長と主任をやっていました。手塚君は、学生時代にテニス 部に所属していて全日本級の選手だったのです。だからテニス用品には特に力を注 いでいました。
ちょうどそのころ、テニスブームが始まりました。テニスウエアは真っ白が当たり前だったのですが、1970年代後半から「世界最強」といわれたスウェーデンのテニスプレイヤー、ビヨン・ボルグが色つきのテニスウエアを着用したのです。
それが「カッコイイ」といわれ、テニスをしない人までテニスウエアを着るようになりました。それで、マイナーな売場がものすごく忙しくなったのです。
ボルグが着て一世を風靡したウエアがFILAの製品でした。髙島屋では、早くからFILAを扱い始めました。直輸入しかなかったので価格は高かったですし、最初はそれほど売れると思わないので少ししか仕入れなかった。ところが半年分の予定の商品が一カ月で売れてしまいました。そのくらいブームになったのです。
当時から海外の仕入ルートはしっかりと持っていましたから、他社が扱っていないものを取り入れるのは早かったと思います。あのころ通信販売でL.L.Beanのダウンベストを販売していましたが、日本で扱っていたのは髙島屋だけでした。
アウトドア用品もダウンベストも日本では見られなかった商品ですから、ダウンベストを「カッコイイちゃんちゃんこね」といったお客様もいたほどでした。だからあまり売れませんでした(笑)。
ちょうどスポーツ用品を担当していた時に、髙島屋が創業150周年を迎えたことから、東京店では「創業150周年祭」を開催することとなりました。先に述べた手塚君と企画し、その当時テニスと共に人気だったスキー用品を積極的に販売しました。150周年にちなんで、倉庫に眠っていたスキー板と靴のセットを千五百円で販売するなどの目玉企画を考えました。当時靴と板のセットで三~四万円はしましたからこれはかなりの破格値で、広告をご覧になったお客様が殺到し、準備した商品は完売しました。
家具やスポーツ用品だけではなくて、婦人服、婦人雑貨などいろんなジャンルで髙島屋が一番最初に取り上げたインポートもののブランドは数多くあります。前にもお話ししたように、髙島屋はインポートもののウエイトが高く、またそれに強いというイメージと実績があります。平場の中でインポート商品だけで構成したサロン・ル・シックなども髙島屋の特徴です。インポート商品に非常に敏感であるということは、会社のMD戦略としていえるでしょう。
そしてインポートものに限らず、当社の180年の伝統で後世に伝えたいものはそのまま守る一方で、時代が求めるものはいち早く取り入れる必要があるのです。